ひとこと

私は日大芸術学部の美術学科を卒業後、深谷基弘教授の導きで新潟は中越、乙にある乙宝寺の庫裏建立に大工見習として携わらせていただきました。社寺建築がゼネコンによって取り仕切られるのが一般的になった昨今、お寺の住職が大工を集め裏山の松を切り倒し引きずり出してきてその皮むきから始まり、手刻み手鉋で仕上げいくという、今では考えられないほど原始的な魅力に満ちた現場でした。集められた大工は腕はいいけれど我が強く喧嘩は日常茶飯事という中で、3年半お世話になり建前までご厄介になりました。

関東に戻り学生の頃からアルバイトでお世話になり、モノづくりの世界に入るきっかけとなった埼玉の苔原順二棟梁に師事し、主にアトリエ系の建築家による都市住宅の新築施工に携わらせていただきました。

プレカット(木造戸建て住宅の柱や梁材を機械によってその仕口、継手を加工する事。それまでは大工が墨付けを行い、手道具によって加工していた。規模にもよるが手での加工が1〜2カ月かかるところを1日で済ませてしまう。プレカットの登場で大工の技術、墨付け・加工、伴ってそれに使用していた鑿のみ、鋸のこ、鉋かんなといった昔ながらの手道具も急激に衰退する事となる) による木材の加工の波が押し寄せる中、一般的な住宅を手刻みで加工させてもらえた最後の世代なのではないかと思います。何でも出来る何でも知ってる棟梁をはじめベテランの大工さん達が材料でしかない材木や合板を使ってイチから家を家具を作り上げていく様はまるで魔法をみているようでした。道具を使って作るモノづくりの喜び、楽しみ、お施主さんの笑顔を、棟梁に教えていただきました。
(現在都市部では家は建てるものから買うものになりました。ひとつには阪神淡路、東日本、能登沖、その他相次ぐ震災被害も大きな影響もあると思いますがチカラを持ったハウスメーカーによる大量材料仕入れ、分業によるコストカットなど、もう町の工務店、1人の棟梁が家を建てる時代ではなくなってしまいました。 
それと同じく何でも出来る大工もいなくなってしまいました。)

その後、埼玉は岩槻にあるヒノキ工芸という特注の家具屋に7年間勤めさせていただきました。イタリアンブランドの国内生産を受ける一方で特注として、宮内庁、企業、各地の旅館、そして建築家、デザイナーに大きな信頼を置かれ様々な空間に携わっている会社です。世界中の木材、突き板、それこそ数え切れないほどの材種をストックし、無垢の木取、加工、化粧ベニヤから木地製作、塗装、アッセンブルまでトータルで家具を完結できる会社です。建築の世界にいた自分にとって美しい木目の突き板とその数の多さに目眩がする思いをしました。会長である戸澤忠蔵氏、社長の忠勝氏の情熱で突き動いてゆく会社であり仕事に対する妥協のなさとデザイナー顔負けのセンスと提案力、実行力は圧倒的です。各地の旅館の内装家具、家具の枠を超えて車・列車の内装など華やかな仕事も多く同じ建築に絡む世界とはいえ大工の世界とは全く違った場所でした。


いづれの親方も来た仕事に出来ないとは言わず基本を大切にしながら分野、職種を超えて良いものはどんどん取り入れていく柔軟さと何とかなる、何とかするという大胆豪胆さは大変勉強させてもらい、今でも刺激をいただいております。